自己紹介そこのみで咲く〜先生の仕事と親友の死〜

上野ユリです。

では、先生編を始めます

小学校の先生を目指した理由

親から絶縁、波乱の大学院編

をご覧ください。

大学院を卒業し、教師になった時は

それはもう長年の夢を叶えた瞬間で感無量

でした。最高の気分でした。

でもそれは1週間で涙と変わりました。

よく先生の残業問題などが出ていますが、

先生の仕事は本当に莫大な量があります。

私も先生の仕事のときは、平日は22時まで

仕事、土日も次の週の準備の仕事、イベント

運動会などがある時は全く寝られませんでした。

あまりの仕事量担任として一年目。

目の下にクマだらけで、日子どもたちと

向き合っていたと思います。

毎日ボロボロで、あれっ先生の仕事ってこんなに

大変だったんだ、、、ともう思考停止

状態になるような日でした。

大学院のときは講師や、保育園も週3日で

これで大丈夫なんて、思ってましたが、

担任となると責任感や仕事量が全く違い

ました。

夜、ぼんやり天井を見ながら、こんな現実

誰も教えてくれなかったなぁと思いました。

やはり人間、仕事ばかり&精神的に余裕がない

とダメですね。一年目は怒られたり、

叱られたりの連続で、毎日自分のダメさ、

情けなさとの戦いでした。

でも私の支えは2つありました。

同期と毎週会って、話し合ったり、

励ましあったり、一緒に涙したり、

そのおかげで私は1人じゃない!

みんな頑張ってるから頑張ろう!

と思えました。

やっぱり仲間というのはかけがえのない

ものです。

仲間がいなかったら、一年目で辞めていた

と思います。

そして、もう1つの支えが

子どもたちの笑顔でした。

もう、子どもたちは本当に可愛かったです。

毎日、毎日子どもたちの成長がとても

楽しみでした。子どもの成長って本当に

すごくて、昨日できなかったことが今日は

できるようになってる、その次の日は

もっとできるようになってる。

そんな子どもたちの成長を見守ることが

何よりも幸せでした。

相変わらず仕事量は多くても、仲間たちや

子どもたちのおかげで、先生になって

よかったと心から思えました。

ただ、その時に子育ての大変さをあまりにも

実感しました。

日本の男性の家事育児参加は先進国の中でも

かなり下の方で、日本は女性がほぼ

子育てをしているのが現実です。

お母さん方は子どものこともみて、家庭のこと、

仕事のことまでしないといけません。

懇談会などで、涙されるお母さんも

多かったです。

自分の時間美容院の時間だけです

子どものために、褒めて伸ばすことが

大事だと分かっていても、余裕がないと

つい怒ってしまう、イライラしてしまう

そんなお話をよく聞きました。

もし実家が近くにある場合はおばあちゃんや

おじいちゃんの助けを得ながら、子育ても

できますが、実家が遠い場合、お母さんが

常に子どもを見ないといけません。

最近は働いているお母さん方が多いので、

子どもが熱を出した場合、迎えにいかないと

いけないけど、仕事を中途半端に終わらせて

変えることもできない。。

働くお母さんにとって、日本の子育て問題は、

かなり問題があるなと痛感しました。

縁の下の力持ちのようなお母さん方には

いつも尊敬をしていました。

そしてその分、子どもたちのことを

しっかり成長できるように頑張ろうという

思いでいっぱいでした。

しかし、私が大学院で学んだ専門性は

とても役に立ちましたが、実際の学校現場

では、もっと学ばないといけない現実が

ありました。

グレイゾーンの子どもたち、というのが

年増加しているというのが分かりました。

増加といういいかたは、変かもしれませんが、

日本も障がい児教育が発達してきて、

障がい名も細分化されるようになりました。

LDADHD場面緘黙、発達障がい、自閉症

広範性発達障がい、、、

最近のドラマでゆとりですがなにか

でも、そのような問題を取り上げていました。

そして、現実は障がい名は同じでも

子どもたちは全く違うということです。

障がい名がこれだから、こうゆう教育をすれ

ばいいというのは、通用しません。

子どもたち、一人一人をよくみて、

その子たちの個性に合わせた教育をしないと

いけないと思いました。

これは障がいがあるからというわけではなくて、

どんな子どもたちにも違う個性があり、

叱ると伸びる子もいれば、叱られると逆に

意欲がさがる、子どもたちが100人いれば

その教育方法は100通りあるといわれていますが、

まさにその通りだなと実際に働くことで

痛感しました。

でも、それはとても楽しかったです。

私からみたら、クラスの子どもはみんな

可愛くて仕方なかったけど、クラスの子ども

たちからみたら、先生は一人しかいない。

常にそれを意識しながら、先生の仕事に

ますますのめり込んで働くようになりました。

ただ、四六時中子どもたちのことばかり

考えていたので、onとoffをしっかりと

とらないといけないよと先輩の先生方から

常にアドバイスされていました。

なかなか切り替えは難しく、遊んでいても

子どもたちのことばかり考えていました。

その頃、私はあまりにも周りのことが

見えなくなっていっていたのかもしれません。

気がつくと、同期が1人辞めて、また1人

辞めて、どんどんと仲間が減っていきました。

心を壊して退職というのが多かったです。

それは、とても辛い現実でした。

みんながいるから頑張れる

そう思っていたのに、仲間が心を壊して

いなくなっていく現実に、耐えられない

日も続きました。

それでも、まだ辞めていない仲間がおり、

2人で一緒に頑張ろう!と励ましあって

いました。

その子がいたから、辛いことやきついこと

があっても、頑張れました。

研修会でもその子の姿をみると、ホッと

しました。

私は1人じゃない、共に頑張っている最高の

仲間がいる。そう思って仕事に邁進して

いきました。

発表会がせまっており、寝られない日が

続き、精神的にはきつい日でした。

そんな時にその子がポツリと

先生辞めてカフェをしたいな、どう思う?

と聞いてきて、私は学生時代にずっとカフェで

働いていたので、

またまたー!カフェは大変だから辞めたほうがいいよー

なんて、笑って答えました。

私はこの後悔を一生忘れることはありません。

ある日の朝、一本の電話がかかってきました。

友だちが亡くなったことを知らせる電話

でした。

私は受話器をおろすと、大笑いしてしまいました。

なんの冗談だろ、朝から笑える。

だって、この前会った時は元気だった。

と思うと同時に心臓の音が壊れそうなほど

はやくなりました。

嘘だ、嘘だ、誰か嘘だといってほしい

でも友だちはもうこの世にはいませんでした。

友だちのお葬式では、泣きすぎてもう

記憶がありません。

ただ、現実がとても怖かった。

頭が壊れるぐらい泣き続け、車でガソリンが

なくなるぐらいまで走り続けました。

いつから?いつから、、友だちはこんなに

苦しんでた、、、。。

なんで気がついてあげられなかった。

この日から自分のことが世界一

嫌いになりました。

泣いても泣いても後悔しても後悔しても

友だちは一生かえってきません。

私はこの現実を耐えきれず、人生を

終わりにしようと考え始めました。

私が仕事を頑張れたのは、みんながいたから。

辞めなかったのはいつも隣でその子が

頑張っていたから。

でもイツノマニカ誰もいなくなってた。

自分のことでいっぱいいっぱいで、

誰の悩みもきちんと聞いてあげられて

なかった。

こんな奴が生きていていいはずはない。

子どもたちに、友だちを大切にしなさい

そんなことをずっと教えてきた。

でもこんな私が子どもたちに教えて

あげられることなんて何もない。

私の生活は暗闇になり、もう死のうと

友だちのところにいって、気がついて

あげられなくてごめんねと言いに行こう

そんな考えが頭の中を支配するように

なりました。

上野ユリ

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